袋とじの『エクセルシオール』

2015年03月25日

 本日は、フランクフルト大学図書館を利用しました。中央駅から地下鉄[U4]で2駅、Bockenhemer Warte駅を上がったところにあります。

 その利用者への解放っぷりには、さすが市民の街、市民の大学と感激しました。入ってすぐのロビーには、インフォメーションカウンター、カフェがあり、カフェのカウンター周りには常連ぽい地元のご隠居の姿も混じっています。デザイン的にもよいなと思ったのが、各種百科事典の棚でつくったカウンターのようなちょっと囲われた、それでいて開放的な一角です。三つくらいぼこぼこあって、立って調べ物をしたり、飲み物片手に打合せをしている学生の姿が印象的でした。


 今回の訪問は、去年から分析を進めているバレエ『エクセルシオール 』のドイツ語版の異本を確認するのが目的です。この作品の台本を集めるようになったのは、大量のバレリーナが客席に向かって艶然と微笑む写真を見て、度肝を抜かれたのがきっかけでした。The Concise Oxford Dictionary of Ballet(Koegler, Horst, Oxford University Press, Oxford University Press, 1982.)にも、作者マンツォッティの作品は「今日理解されているようなバレエではなく~」と紹介されているのですが、出演者が異常に多かったり、プリマが群衆に埋もれる隊列だったり・・・・・・調べるほどに、つっこみどころ満載の作品です。

 が、注目されるのは「さらなる高みへ!Excelsior!」を掲げるこのバレエが、近代の進歩主義その他諸々の主義を喧伝するメディアとして、結構な影響力を持ったのではないかと考えられる点です。ちょうど世紀転換期の舞台舞踊では、「新しさ」とともに「若さ」を賞賛する価値観が、伝統主義や懐古趣味と摩擦を起こし、そこに進歩史観と歴史主義の根底にある時間のとらえ方を批判する作家がバレエ業界に参戦する・・・・・・と、新旧諸価値が闘う時代でした。『エクセルシオール』が見せる近代の夢の歴史過程を知ることは、この夢がいまやほころびて、減速や退化や老衰の知恵を学ぶことのほうがアクチュアルとなりつつある現代に、ことさら意味を結ぶように思われます。

 フランクフルト版『エクセルシオール』のユニークな点は、アダプトの前年に当地で行われた国際電気博覧会 Elektronische Ausstellungが、台本の一部に取り込まれていることです。当時、電気とバレエは密接な関係にあり、電気博覧会にはバレエがつきものでした。フランクフルト大にはページ数と年代の違う2つの版があるため足を運んだのですが、うち一つは「Frankfurt部門」で、もう一つは「Musik, Theater, Film部門」で取り寄せ、それぞれの閲覧室での制限が異なるのも興味深かったです。

 さて省略版の確認を終え、いよいよ初演版の国際電気博覧会の場面を確認しようとした時、なんとその場面が、糸で縫い閉じられていることに気づきました。これまでも19世紀末バレエの台本は、植民地主義丸出しのタイトルが貼り替えられていたり(透けて見える・・・)、後年から見たらあまり外聞のよろしくない記述が変更される例もあるので、一体何が書かれてあるのかどきどきです。「中を見ても?」と恐る恐る聞きに行くと、司書さんはあまり躊躇いもせず、鋏で糸を切ってくれました。古い資料の閲覧は、保存と使用の間で判断を迫られることも多々あるわけですが、時間の都合意外で見れなかった資料というのは、世紀転換期にあたりについてはほとんどありません。使用を優先するのは、お世話になってきた図書館やアーカイヴの職員さんに通じる、基本的な態度のように思われます。

 袋とじの中身は・・・また別の機会に。

 『エクセルシオール』は、ミラノ・スカラ座でリコンストラクションされてレパートリーにも入っています。DVDも売られています。面白いです!

 

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